高校教員を辞めてイギリス大学院へ|修士論文提出直前、人生で最も追い込まれた数か月

イギリス留学

はじめに

前回の記事では、修士論文のテーマ決定からデータ収集までの過程について書きました。

担当教授と連絡が取れなかったり、統計学の壁に苦しんだり、さらには研究テーマの変更を余儀なくされたりと、なかなか順調には進みませんでした。

しかし、今振り返ると本当の苦労はここから始まっていました。

今回は、修士論文提出までの数か月間で経験した出来事について書いていきたいと思います。

ようやくスタートラインに立つ

テーマ変更を終え、ようやく修士論文の執筆に本格的に取り掛かることができました。

この頃の生活は、今振り返ってもかなりハードでした。

朝4時から5時頃に起床。

往復1時間ほどかけて24時間営業のジムへ向かいます。

約1時間トレーニングを行い、帰宅して朝食を済ませた後は大学の図書館へ向かいました。

実はこの頃、私は修士論文を書き始めたのと同じタイミングで、卒業後の進路についても考え始めていました。

そして、私がイギリスへ留学する際に利用した留学エージェントでインターンを始めることになります。

このインターンが後にロンドンでの就職につながっていくのですが、その話はまた別の記事で詳しく書きたいと思います。

図書館に到着すると、インターン業務を行いながら、空いた時間はひたすら修士論文に取り組む毎日でした。

  • データ分析
  • 先行研究の調査
  • 引用文献探し
  • 論文執筆

特にデータ分析には本当に苦労しました。

前回の記事でも少し触れましたが、私は統計学の知識がほとんどありませんでした。

そのため、

統計学について学ぶ

データ分析を行う

また分からないことが出てくる

再び統計学を学ぶ

という繰り返しでした。

統計学で出てきた用語

  • Shapiro-Wilk検定
  • t検定
  • Mann-Whitney U検定
  • p値
  • 有意差

今となっては何となく理解できますが、当時の私はこれらの言葉をほとんど理解できておらず、しかも全て英語で説明されていたため、正直何を言っているのか全く分かりませんでした。

サッカーの研究をするためにイギリスへ来たはずなのに、気付けば統計学と格闘していました(笑)

また、先行研究や引用文献の収集にも多くの時間を費やしました。

私の研究テーマはJリーグに関するものでしたが、英語で書かれたJリーグ関連の研究は非常に少なく、参考文献探しにも苦労しました。

今思えば日本語の論文ももっと探せばよかったのですが、当時はそこまで頭が回りませんでした。

さらに修士論文では、それまで書いてきたレポートとは比較にならないほど多くの文献を引用する必要がありました。

そのため、膨大な数の論文に目を通すことになりました。

気付けば何時間もパソコンと向き合う毎日。

夕方からは大学が提携していたサッカーチームで子どもたちの指導。

帰宅は夜9時頃。

食事を済ませて寝る。

そして翌朝また同じ生活。

決して楽ではありませんでした。

しかし、不思議と充実感がありました。

以前感じていた「慣れによるモヤモヤ」は完全になくなっていました。

過去の記事

毎日やるべきことがあり、目標に向かって進んでいる実感があったからです。

ロンドンへの引っ越し

そんな生活がしばらく続き、大学院生活もいよいよ終盤に差し掛かっていました。

それに合わせるように、修士論文の執筆も終盤へ。

少しずつ締め切りが近づいてきていました。

この頃には、指導していたサッカーチームのシーズンも終了し、イギリスはサマーバケーション直前。

大学も街も少しずつ休暇ムードになっていました。

そんな中、私の人生の大きな転機となる話が舞い込んできます。

インターンをしていた留学エージェントの会社から、

「卒業後にうちで働かないか」

というお話をいただいたのです。

仕事内容はスポーツや教育とは全く異なる分野でした。

それでも、海外で働くチャンスはそう簡単に得られるものではありません。

実際にはもっと悩みましたが、最終的に私はそのオファーを受け、ロンドンへの移住を決意しました。

しかし当然ながら、就職を決めたからといって修士論文が待ってくれるわけではありません。

ロンドンでの住居探し。

荷物の整理。

引っ越し準備。

家族への説明。

そして修士論文。

複数の大きな課題が同時進行で進んでいました。

当時の私は完全にサバイバルモードでした。

今振り返るとよく乗り切ったなと思います(笑)

ロンドン移住やフルタイム就職、そしてワークパーミットビザの取得については、今後の記事で詳しく書いていきたいと思います。

終わらないデータ使用許可証問題

ただでさえ忙しかった大学院生活終盤に、新たな問題が発生しました。

研究で使用していたデータについては、すでにデータサイトから利用許可を得ることができていました。

前回の記事

しかし、大学へ論文を提出するためには、正式な使用許可証の提出が必要だったのです。

私はデータサイトへ連絡を取り、必要書類へのサインを依頼しました。

ところが、全く話が進みません。

連絡を送る。

返信が来ない。

しばらく待つ。

ようやく返信が来る。

「担当部署が違います」

言われた部署へ連絡する。

また返信が来ない。

しばらくして返信が来る。

「担当者が違います」

新しい担当者へ連絡する。

また返信が来ない。

本当にこの繰り返しでした。

今思い出すと笑い話ですが、当時は全く笑えませんでした。

締め切りだけがどんどん近づいていきます。

本来であれば、このような状況では担当教授へ相談したくなります。

しかし、その担当教授ともなかなか連絡が取れませんでした。

使用許可証が届かないため、私は状況を説明するメールを送りました。

しかし返信が来ません。

再度メールを送ります。

それでも返信が来ません。

以前から連絡が取りづらい教授だということは分かっていました。

しかし、締め切りが迫っている状況では精神的な負担が全く違います。

日に日に焦りだけが大きくなっていきました。

今思えば、この頃の私は少し精神的におかしくなりそうだったかもしれません。

忙しさと焦りが重なり、常に何かに追われている感覚でした。

締め切りとの戦い

提出期限は刻一刻と近づいてきます。

しかし、使用許可証はいまだに届きません。

担当教授とも連絡が取れません。

このままでは論文を提出できない可能性もありました。

私は提出期限延長の申請についても調べました。

ところが、その申請には担当教授の承認が必要だったのです。

正直、かなり絶望的な状況でした。

修士課程の中で最も精神的に苦しかった時期だったと思います。

論文を書かなければならない。

仕事もしなければならない。

引っ越し後の生活にも慣れなければならない。

それなのに提出に必要な書類が揃わない。

提出できなかったらどうしよう。

本当に卒業できるのだろうか。

そんな不安ばかりが頭の中を巡っていました。

締切日前日に起きた奇跡

そして迎えた提出期限の前日。

ついにデータサイトから連絡が届きました。

使用許可証への正式なサインが完了したのです。

メールを見た瞬間、心の底から安心したことを今でも覚えています。

すぐに必要書類を整理し、論文の最終確認を行いました。

そして無事に修士論文を提出。

提出ボタンを押した瞬間は達成感というよりも、

「終わった……」

という安堵感の方が圧倒的に大きかったように思います。

長い長い戦いがようやく終わりました。

最後に

修士論文は研究内容そのものも大変でした。

しかし、それ以上に大変だったのは研究以外の部分だったように思います。

担当教授との連絡。

データ使用許可証の取得。

ロンドンへの引っ越し。

卒業後の進路。

さまざまな課題が同時に押し寄せてきました。

それでも最後まで諦めずに進み続けたことで、なんとか提出までたどり着くことができました。

今振り返ると、この数か月は人生の中でも特に濃い時間だったと思います。

次回は、修士論文提出後に待っていた結果発表や大学院修了、そしてイギリス大学院での修士課程を終えて感じたことについて書いていきたいと思います。

読者の皆様へ

私は「高校教員を辞めてイギリス大学院へ留学する、そして転職する」という、少し勇気のいる選択をしました。

もし今、

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という方がいれば、ぜひお気軽にお問い合わせフォームからご連絡ください。

私自身、多くの方に支えられながら留学や転職という挑戦をしてきました。

このブログで紹介している経験が、皆さんの次の一歩のヒントになれば嬉しいです。

感想や質問だけでも大歓迎ですので、お気軽にメッセージをお送りください。

▼前回の記事はこちら

「修士論文との戦い|テーマ決定とまさかの出来事」

https://motokyouin.com/uk-master-thesis-battle-theme-selection/

▼次回の記事はこちら             

「修士課程修了!大学院生活を終えて感じたこと」
https://motokyouin.com/uk-master-degree-graduation-reflection/

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